2012/10/31

文化庁派遣事業 ~愛媛県 ③

公演3日め。西条市立多賀小学校。

10時開始のため、宿を7時半に出発。学校まではバスで1時間15分。
子供たちは挨拶もハキハキしていて、とっても元気。
公演中も目をキラキラさせて観てくれてました。

12時に終了。
昼食のため途中今治市で下車。

今年のB級グルメ大会で第3位となった焼き豚玉子飯をいただきました

ごはんの上に、甘辛いソースをからめた焼き豚を乗せ、その上に白身だけ焼いた玉子を2個乗せ、黄身を混ぜて食べる。
かなりイケました(笑)

店がまた変わっていて、スクリーンの他にミニステージもある映画館が付随しているイタリアンレストランで、その映画館のステージ前にテーブルを並べて、皆でいただきました(笑)




宿に3時前に到着。今日は松山城へでもと思いましたが、先日デジカメを地面(石畳)に落とし、修理すると15000円以上と言われたので、松山市内のヤマダ電機にてNEW CAMERAを購入。




宿に帰り、この宿「大和屋本店」の中にある、能楽堂「千寿殿」を覗いてみたら、能楽体験講座をやっていた。

その中に我々メンバーの一人、佐久間二郎氏の姿が。
彼は他の宿泊客に混じって、講師の方(地元の喜多流能楽師?)の話をうなずきながら熱心に聞いているではありませんか。
あたかも自分は初めて能舞台を見たかのように・・・

摺り足の体験では、わざと初心者のような歩き方をしていると、隣りの年配の方から「ちょっと そこのお兄さん。摺り足ゆうたらなあ~ そんなへっぴり腰ではいかんよ~」
佐久間氏「あっそうなんですか~ こんな感じですか?」
お客「そうそう だいぶ良うなってきたわ~」


もう笑いを堪えるので必死でした。








2012/10/30

文化庁派遣事業 ~愛媛県 ②

朝早く目が覚めたので、7時に朝食をいただき、散歩へ。

宇和島城
ホテルから城入口まで徒歩10分強。天守までは約30分。

 



 
この天守は、藤堂高虎が創建したとされるものを、宇和島伊達家2代宗利(むねとし)が1666年頃に再建したものです。

日本国内現存12天守の1つに数えられ、国重要文化財に指定されています。
石垣や石段の苔むした様が幽玄さを感じさせます。

天守から降りてくると、すれ違う方々が皆「おはようございます」と丁寧に挨拶されます。もちろんお返ししませんとね。
ほんと気持ちが良かったです。


バスで市内の 宇和島市立城東中学校にて2回目の公演。


中学生ともなると、少し難しい子たちがいますが、まあまあちゃんと観てくれたような気がします。



終演後バスにて道後温泉へ。約1時間半。少し寝ました。

宿は大和屋本店。内に立派な能舞台があります。写真はまたUPします。

夕食は近くの もつ鍋屋「湯築屋」へ。
塩味のお出しがとっても美味でした!

 
 







2012/10/29

文化庁派遣事業 ~愛媛県 ①

今日から11月2日(金)まで、公益財団法人 鎌倉能舞台の一員として、文化庁派遣事業で愛媛県を回っています。

朝8時の松山便で愛媛入り、そのままバスで松前町立松前中学校にて公演でした。開始までの時間がかなりありましたが、初日は飛行機の時間の関係があるので仕方ないですね。

生徒たちはとても熱心に観てくれました。



終了後またバスで、宇和島へ。約1時間半。
ホテルクレメント宇和島泊り。駅の上の比較的新しいホテルです。


夕食はすぐ近くの「かどや」にて。
ジャコ天やまめあじの素揚げなどでお酒をいただいた後、「鯛めし&さつまめし」セットをいただきました。



鯛めしは、新鮮な鯛の刺身を漬けにして、ごはんの上に乗せて食べる宇和島式。御出汁はかけません。

さつまめしは、鯛をいったん焼いて身をほぐし、麦味噌と冷たい魚のだし汁を入れてよくすり混ぜ ご飯にかけていただくもの。
写真ではよくわからないとは思いますが、とっても美味でした!

2012/10/26

2012年11月の主な出演スケジュール

 
4日(日) 金沢能楽会定例能 柏崎 石川県立能楽堂 13:00~
7日(水) 横浜学生能 安宅 横浜能楽堂 13:30~
11日(土) 芝宝会 吉野静 ☆ 宝生能楽堂 14時頃
14日(水) いざ、鎌倉! 鉢木 鎌倉・建長寺 13:30~
16日(金) 国立定例公演 玄象 ★ 国立能楽堂 18:30~
17日(土) 東京金剛会 自然居士 国立能楽堂 13:30~
筑西市薪能 船弁慶 羽黒神社 18:30~
21日(水) 研究会 葛城 観世能楽堂 17:30~
24日(土) 松山隆之の会 望月 梅若能楽学院 14:00~
25日(日) 京都観世会 鳥追船 京都観世会館 10:30~
29日(木) 七拾七年会 葵上 セルリアンタワー 19:00~
能楽堂
★ワキツレ ☆社中発表会  
 

2012/10/23

OUTRAGE BEYOND

 
昨日は久々に、能楽堂へ行かなくてもよかった日でした。
 
と言っても溜まっていることを済ませたり、近々皆様にご紹介する会のチラシの打ち合わせをした後、ちょっと一杯飲んでいるうちに、「アウトレイジ~ビヨンド」を観ようということになり・・・ 
 

中尾彬、西田敏行・・・  幹部から鉄砲玉に至るまで、各俳優の名演技!
特に驚いたのは、三浦友和。見直しました。



北野武 恐るべし。 何作か観てますが、これは最高傑作に推します!
 

 
 
 



2012/10/16

一泉同窓会 (平成24年度)


平成24年度 一泉同窓会 総会・懇親会
ホテル日航金沢 4F 鶴の間



着席で総人数840名を超え、ホテル側も悲鳴を上げるほどの大盛況でした。
私は東京にいるせいもあるのですが、なかなかスケジュールが合わず、卒業後始めて出席させていただきました。

本年度は我々31期卒業生が代表幹事ということで、何かお手伝いができればと思っておりましたが、うまく予定のない日でしたので、母校への感謝の気持ちを込めて、謡を謡わせていただきました。





前日の学校見学会と当日の総会・懇親会
玉川実行委員長を始め、多数の同期の仲間が、各々の仕事の合間に会合を開き、役割り分担を決め、各自が精一杯働いた努力が見事に実った、素晴らしい同窓会でした(予想)。

予想と書いたのは訳がありまして、実はスケジュールの都合上、当日の1時のJALで会場入りし、翌日の朝は申し合わせ(リハーサル)があるため、7時55分の便でとんぼ返りさせていただきました。

会の準備のため、同期の仲間がメールで連絡を取り合うので、私のメールBOXもパンクするほど、皆心を込めて携わっておりました。
その中、何もお手伝いできないもどかしさを感じつつも、当日は心をこめて謡わせていただきました。

帰りの便に間に合うのかと皆心配して下さり、玉川氏の会社の社員の方に送り迎えをしていただき、感謝しております。






謡ですが、まず高砂の「四海波」を謡い、そのあと校歌の詞に能の節付けをして謡わせていただきました。

校歌の詞を能の節で謡うなんて不謹慎な! というご批判が出るかもと心配しましたが、誰に聞いても是非やってくれという返事でしたので、安堵しております。概ね好評のようでした。




我が校歌の詞があまりに素敵なので、書かせていただきます。


① 見はるかす加賀野の果てに 日本海青くかぎろふ 
    この丘に涌き出ずる泉 若人の魂(たま)を融かして
     清らかに海へとそそげ

全部で4番まであるのですが、この1番に節付けをしました。

あまり歌ったことはないのですが、私は能をやっているせいか、実は4番の詞がとても好きです。これも披露させていただきます。


④ 森ふかき古志(こし)の都よ 山科の里ようるはし
   笹風を琴と聞きつつ 若人ら文化の花を 色綾に咲かせゆかなむ



この素晴らしい校歌を持つ高校の卒業生として、自分はちゃんと人生を歩んでいるのだろうか・・・
改めて心が洗われた気がします。




同期のメンバー、本当に有難うございました。
そしてお疲れさまでした m(__)m

今日もFacebookのメッセージで同期のメンバーが、お互いの健闘を感謝を込めて讃え合っています。
素晴らしきかな 同期の面々。
素晴らしきかな 石川県立金沢泉丘高校。


できれば生きている間に、甲子園で校歌を熱唱してみたい!


   







2012/10/14

2012/10/13 鵜澤久の会 「当麻」


昨日は宝生能楽堂にて、鵜澤久(ひさ)の会 「当麻(たえま)」を勤めてきました。

所要時間 2時間20分 お客様にも演者にもきつかったかもしれません。

「二段返(にだんがえし)」という小書(こがき・特別演出)付き。
これは後シテの登場の出端(では)という囃子事が長くなり(秘事が多い)、一番の聞かせ所で、揚げ幕を半分上げ、シテが床几に座り、経文を持つ姿を見せる、という演出です。

正面のお客様は勿論お気付きでしょうが、私がワキ座から見ておりますと、ワキ正面のお客様は気が付かなかった方がいらっしゃったような気がします。
もちろん私が教えてさしあげるわけにもいきませんし・・・




この「二段返」の小書、通のお客様には喜ばれるでしょうし、確かにおシテをなさる方は、どうせ当麻をやるなら二段返付きでと思われるのでしょう。ましてこの会は個人の会ですので、この小書が付くのは納得がいきます。

でも最近少し出過ぎてませんでしょうか?





しかしこの日のおシテは、あまり崇高になり過ぎず、可愛らしさも垣間見れる、お姿だったように思いました。


この日の後場の演出は、観世流のほぼ定型でした。
シテ(中将姫の精魂)が経文を読みながら、称讃浄土経の功徳を説き、その経文を諸国行脚の僧(実は一遍上人であろう)に授けるという形です。

他流には、ワキが経文を読んだり、始めからワキが経文を持っていたり、いろいろなやり方がありますが、私はまずシテが経文を読み、それをワキに授けるのが本来ではないかと思います。

その方がワキも気が楽ですし・・・  いやいや冗談です(笑)




とにかくこの能繁期に、2時間20分は堪えました。

今日は観世九皐会にて「浮舟」から、宝生会へ廻り、「鉄輪」でした。
「浮舟」も通常よりは10分は長くかかったようです。

睡眠不足に気を付けて、この秋を乗り切ります。
と言っても、まだまだ長いなあ~

でもあっという間に年の瀬になるんだろうなあ~



 

2012/10/11

20000ページビュー 突破御礼

おかげ様で私のブログのページビューが20000回を突破致しました。
見て下さっている皆様に、心より御礼申し上げます。



今年の2月に思い立って始めて以来、9か月目になります。
ワキ方らしく五流の能を紹介してゆきながら、自分の日常も日記のつもりで書いていこうと始めたブログです。
当初は僕が書いても、いったい誰が見てくれるんだろうか・・・
不安もありましたが、今は少しでも能楽会の発展に貢献できればと思っております。



これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


2012/10/09

晴明神社(京都市上京区)「鉄輪」


晴明神社は晴明公の屋敷跡であり、天文陰陽博士として活躍していた拠点であった場所です。

私も能「鉄輪(かなわ)」のワキで、安倍晴明の役を勤めますので、久々の京都の舞台の合間に、お参りをさせていただきました。




以下、晴明神社のHPよりの抜粋です。


晴明神社で祀られている安倍晴明公は孝元帝(こうげんてい)の皇子大彦命(おおびこのみこと)の御後胤(ごこういん)で幼い頃から非常に賢明な方で多くの道に秀でておられました。
特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられておられたのです。
成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。
そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれます。
帰国して後、これを元に日本独特の陰陽道を確立。 朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決められました。

今日、私達の日常生活の基準となる年中行事や、暦術、占法は皆この時に創られたのです。


晴明公は生きておられる間から高徳な方でいらしたので、天体を移り行く星や雲の動きを観察して、宮殿での異変の予知、遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷を始め多くの人々の信望を寄せられたとされています。
そして、一条帝に仕えておられた寛弘2年(西暦1005年)9月 26日に85歳でお亡くなりになります。

こうして、晴明御霊神として祀られた後も、我が国の陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。
「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受ける事ができ、様々な災いから身を守り、病気や怪我が治る…」そうした評判が多くの人々に語り継がれています。
























2012/10/04

2012/10/4 修善寺あさば能 「松風」







今日は伊豆修善寺あさば旅館にある能舞台「月桂殿」にて、能「松風」でした。
秋の名曲です。



この舞台は、七代浅羽(あさば)保右衛門が宝生流の能に興じて、明治の後期、東京深川富岡八幡宮から移籍した能舞台で、加賀前田家の分家大聖寺藩主前田子爵より寄進されたものと言われます。


夜ライトアップされると、水鏡に写り、舞台が二つ見えます。まさに幻想的です。
お客様にも演じる側にもちょうど良い時節の能だったのではないでしょうか。


ここでの能鑑賞。是非一度体験されることをお奨めします。
但し、宿泊付きはかなり値が張りますので・・・



我々能楽師も、いつも冗談で「一度でいいから、舞台を正面で見られる部屋に客として泊まって、能を観てみたいね」と言い合っています(笑)


帰りに気付いたのですが、今日のあさばさんの入り口の暖簾はこれでした。
松風にちなんで「月はひとつ」? あれ?「ふたつ」?

違いますよね。これは日と月でしょう。