2015/03/31

吉野天人



吉野天人  あらすじ 


毎春花見にほうぼうを訪ねる都の者が、今春は吉野の桜を見ようと、仲間たちを連れて出かけます。

吉野山に着き、見事な桜景色に惹かれ、さらに奥深く入っていこうとすると、そこへ女性が一人現れ、一行に話しかけます。

高貴そうな女性が一人山中にいることを不思議に思った男が女性に尋ねると、女性は「私はこの辺りに住む者で、一日中花を友として暮らしているのです」
と答え、都人と共に花を眺めます。

ところが女性はいつまでも帰ろうとしません。いよいよ不思議な女性だと思って尋ねると、女性は「実は私は天人で、花の面白さに心引かれて、ここに来たのです。このままここに滞在して、よく御信心なさったならば、古の五節の舞(ごせつのまい)をお見せしましょう。暫くお待ちください」と言って、姿を消します。

やがて夜になり、何処からともなく音楽が聞こえ、辺りにはなんとも言えない良い香りが漂ってきます。

するとそこへ天人が現われ、桜の花に戯れ、舞を舞いますが、花の雲に乗って何処かへ消え去っていくのでした。


2015/03/30

2015/3/28 観世能楽堂さよなら公演「松風」




先週土曜日は、観世能楽堂さよなら公演「松風(シテ梅若玄祥師)」に出演させていただきました。

現観世流を代表する錚々たる楽師が総出演するこの公演に、「松風」のワキで出演させていただけた事、大変光栄に存じます。
観世宗家、観世会の皆様に心より御礼申し上げますと共に、何よりもって師匠の宝生閑先生に感謝申し上げます。


この能楽堂が落成したのは1972年4月ですので、私が12歳の時。勿論私は金沢におりましたので、舞台披きの公演は存じません。

楽師を始め、いろんな方々がたくさんの想い出をお持ちのことと存じます。

私とても様々な想い出のある舞台に出演させていただきました。

金沢から上京し、甘えの一切ない真剣勝負の舞台の数々に感激し、自身も研鑽を積ませていただきました。
楽屋働きから始まり、ワキツレに初めて出演した時のこと、今でもはっきり覚えております。

特に観世別会で「道成寺」や「卒都婆小町」を勤めさせていただけたことは、只々感謝の気持ちでいっぱいです。



あまりご存じない方がいらっしゃると思いますが、この能楽堂の2階には、小規模の舞台がございます。

 
1階の本舞台は、銀座松坂屋跡地を中心とした再開発地区に建築中の複合ビル内へそのまま移築するようですが、この2階舞台は取り壊しとなります。

この舞台にも忘れられない想い出があります。

私が東京藝術大学の入学試験のために上京し、入試の課題曲の仕舞「春栄」と「蟻通」の稽古を、宝生閑先生につけていただきました。

緊張からか異常な程の心臓音が聞こえ、手足は震えながら、先生の舞われる後ろに付いて舞台を歩いていたことを思い出します。




本当に感慨深い舞台で大変残念に思いますが、「さよなら」は新しい門出です。

銀座での新能楽堂に新たな気持ちで立てるように、これからも精進を続けたいと思います。

 

 

2015/03/24

先週末の能 「檜垣」「谷行」





先週末は土曜日が五十五世梅若六郎三十七回忌追善能「檜垣」、日曜日は神遊公演(ワキ方が活躍する能)「谷行」を勤めさせていただきました。


「檜垣」は初役。老女物の難しさを勉強させていただきました。

「谷行」は小先達(こせんだち)というワキツレでした。過去何度も勤めさせておりますが、謡も多く、しかも間違えやすく出来ているので、慎重に勤めました。


最近つくづく思います。
離見の見(りけんのけん)。
自分では考えてやっているつもりでも、周りから見ると、感じが違ったり、バランスが悪かったりするんですね。
人の意見は素直に聞くことが肝要ですし、注意していただけるのは本当に有難いことです。

 

2015/03/18

2015年4月の主な出演スケジュール


5日(日) 金沢能楽会別会 老松 石川県立能楽堂 13:00~


邯鄲★






7日(火) 能劇 吉野天人 金沢市安江町 14:30~

「群集の人々桜の下に」 西行桜 花のアトリエこすもす 19:00~





8日(水) 能劇 吉野天人 金沢市安江町 14:30~

「群集の人々桜の下に」 西行桜 花のアトリエこすもす 18:00~





10日(金) 銕仙会 三山 宝生能楽堂 18:00~





11日(土) 朋の会 花月 宝生能楽堂 13:00~





17日(金) 国立定例公演 三山 国立能楽堂 18:30~





26日(日) 謳潮会☆ 宝生能楽堂 17:00頃











☆は入場無料



★はワキツレ


2015/03/17

北陸新幹線金沢開業 特別ライトアップ



ご案内が遅くなってしまいました。

今金沢市では、北陸新幹線金沢開業を記念して、金沢城公園と兼六園を特別にライトアップしております。

3月14日(土)~22日(日) 9日間 時間18:30~21:00 入場無料


市内各地では記念イベント満載です!

詳しくは 「ほっと石川旅ねっと」 を御覧ください。

http://www.hot-ishikawa.jp/

 

2015/03/12

銭湯の絵に北陸新幹線!

今日興味深い新聞記事を見つけました。



今日3月12日(木)讀賣新聞の夕刊です。

なんと東京の銭湯の絵に北陸新幹線が!

銭湯の絵といえば、なんといっても富士山ですよね。

立山連峰と北陸新幹線の絵。新しい! 素晴らしいです。

富山市が、希望する都内の銭湯に絵の塗り替え費用などを補助してるとか。

富山市もやりますね~





私が4月7・8日に金沢市安江町にある「花のアトリエ こすもす」で演じます能劇「群集の人々 桜の下に」も、チラシには書いてありませんが、「こすもす」の代表でフラワーデザイナーの角島泉さん、高崎市出身の観世流能楽師・下平克宏氏、私の3人が、北陸新幹線の開通を記念して催すものです。

古民家の空間に桜の生花を飾り、シテ、ワキ、地謡、笛、それぞれ一人ずつ、4人で演じま

す。詳しくはこちらを。

 http://tonoda.blogspot.jp/2015/02/2015478.html




7・8日両日とも昼の部は「吉野天人」、夜の部は「西行桜」

すでに7日の夜の部は完売、それ以外も残席少々と聞いております。

ご希望の方はお急ぎ「こすもす」までご連絡下さいませ。

cosmos.izumi@gmail.com



2015/03/09

西行桜

  シテ     老桜の精
  ワキ     西行法師
  ワキツレ   花見の人
  アイ      能力




あらすじ


都の郊外・西山に清閑を楽しむ西行上人(ワキ)の庵りの春。
桜の名所で知られるここで、西行はひとり静かに花と対座しようと
「今年は花見客を一切入れないように」と能力(アイ・下働きの僧)に命じます。


そんな庵主の心も知らず、花見見物に訪れた下京辺りに住む人々(ワキツレ)。
能力は一度は断るが、花見人の熱心な望みに根負けした西行は、自らの禁を破って招き入れます。


花の下に群れ居る人々を前に、西行は当惑。


「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の咎(とが)にはありける」
(花を目当てに多くの人が訪れることだけは、惜しくも桜の罪であるな)
と詠みます。



やがて夜。庭に立つ桜の大樹から、先刻の歌を詠ずる声が響きます。



「憂き世と見るも 山と見るも ただその人の心にあり」
(憂き世と見るのも、山と見るのも、それぞれの人の心の中にあることでしょう)
「非情無心の草木の 花に憂き世の咎はあらじ」
(心を持たぬ草木に罪などない。苦しみの多いこの世を嫌って離れる=出家するあなた自身にこそ、その原因があるのだ)
と述べて出現したのは、白髪の老人に身を変えた桜の精でした。
この反論には、さすがの西行も恥じ入ります。



とはいうものの、老桜の精はこの歌を縁として西行に出会い、仏法に触れ得た喜びを述べ、都で知られた花の名所の数々を語り舞います。



老桜の精は、「過ぎ行く一瞬は再び帰らない。得がたき友との出逢いも、短い一生の間めったにはない」と説き、春の短夜に別れを告げ、曙の光の中に姿を消します。



夢醒めて後。風に散り庭一面に降り敷く、雪のような落花が残るばかりです。

2015/03/04

新印象派 ~東京都美術館


今日は朝10時からの藝大入試の採点の後、時間があったので、上野公園内にある東京都美術館で「新印象派」展を見てきました。

藝大の学生時代は週に何日も、卒業後も藝大へ伺う時は必ず「とびかん」の横を通ってました。

久しぶりに「とびかん」の中に入りましたが、ずいぶん綺麗になったんですね。

比較的人の流れが良く、音声ガイドを聴きながらゆっくり鑑賞できました。




「新印象派 ~光と色のドラマ」

モネやルノアールなどの印象派を継承しながらも、最新の光学や色彩理論を参照し、活動していった、スーラやシニャックなどの「新印象派」の画家を、年代とともに紹介する企画。

絵画の陳列が分かりやすく、画家たちの探求した色彩表現を感じるにはもってこいの企画です。

オルセーで実際に見たスーラの「ポール=アン=ベッサンの外港、満潮」に再会できたのは感動でした。



色彩環などの理論や点描技法の説明にたっぷりページを割いた図録も見事ですが、やはり絵画自体の鑑賞は、じかに肉眼で見、感じるのが一番ですね。

写真とではまるで違います。


3月29日(月曜日 休館)までとの事ですので、御覧になられる方はお急ぎあれ。

2000円

能に関係のない投稿で申し訳ありません.

しかし色彩環を理解し感じることは、色彩豊かな能装束を扱う我々にとっても重要な事です。

装束の色の取り合わせが変だと、客席から見ても違和感が出ます。

日本古来の色には、西洋にない微妙な色がたくさんありますが、保護色や反対色を理解する必要がありますね。

高校時代美術の授業で先生がおっしゃってたのを思い出しました。





最近特に感じることがあります。

日本の美術展は、どうしてあんなに暗いのでしょう。最近のオルセー美術館の改装も、自然光を取り入れ、より絵の色彩を際立てた内装になっているのに・・・ 残念です。


2015/03/03

2015/3/1 粟谷能の会 「三輪・神遊」「正尊」



3月1日(日)は、国立能楽堂にて開催されました、粟谷能の会「三輪・神遊」に出演させていただきました。

第97回を数えますこの会は、故粟谷新太郎の十七回忌追善と題が打たれておりました。
もう十七回忌になるのですね。先生のお舞台には数回ワキで、ワキツレは数えきれません。



「三輪・神遊」

この神遊(かみあそび)の小書きは、私は今回で二回目。

喜多流の楽師の皆様が、小書きの中で一番大切にされているものと伺っております。

三輪の小書きの中では、観世流の白式神神楽(はくしきかみかぐら)を思い浮かべますが、喜多流の神遊は、白式の荘重さを備えつつも、神楽の前後部分に著しい変改があり、まさに神能。

特に「人の面、白々と見ゆる」の後の舞の部分で、橋掛かりへ行き、囃子方が総流しの手を打つところで、シテが橋掛かりから一気に舞台へ入り、「面白や・・」に謡になる場面は、ほんとファンタジーを感じます。

シテ能夫師の荘厳さ、アイ万作師の物語の骨格を明確にする芸力、挙げればきりがありません。

本当に改めて勉強になる一番でした。

最後に中入りのあの短時間で、あの暗い作り物の中で、鬘まですべて付け替えるという難役の後見を見事に勤めた狩野了一師の貢献も書いておきます。




「正尊」

私は楽屋から拝見しました。

シテ 粟谷明生師 ワキ 森常好師 両師の気迫がぶつかりあった見応え十分な舞台でした。

装束や型などに、工夫を凝らした明生師。変更の理由を明らかにするところは、潔いと尊敬します。

「正尊」はカケリという部分に、義経方と正尊方の斬り組があります。

若手の人たちが舞台に大勢出るため、楽屋の残っている方は、三輪に出られた先生方のみ。

大先輩や87歳の粟谷辰三先生までが、懸命に装束付けをなさっているので、私も立衆の装束を2人ほど着けさせていただきました。

舞台上の役者と楽屋にいる役者の心が一つになった、演能会でした。

 

 

 


 

2015/03/02

2015/2/28 同明会能「羅生門」 ~京都


先月28日(土)は京都にて、京都能楽囃子方同明会能 「羅生門」のワキツレ保昌(ほうしょう)を勤めさせていただきました。

同明会は今年で60回との事。長い歴史、誠におめでとうございます。

もう25年くらい前になるのでしょうか。
一度「屋島・大事」のワキツレでお邪魔しております。





「羅生門」 シテ 片山九郎右衛門師  ワキ 宝生欣哉師

ワキツレ頼光は高安流の原大氏、保昌が私、立衆は下宝の大日方寛氏と高安流の岡充氏、有松遼一氏、小林努氏という配役でした。

言わば異流共演。

欣哉師が京都側からの依頼で、京都の若手高安流の方々のお稽古の手助けをされているということから、このような配役になったのでしょう。

ワキの異流共演は、まったくなかったわけではなく、以前能楽座で「鳥追舟」が出た時、流儀の宝生閑先生と福王流の福王茂十郎先生が、日暮と左近尉の役を一度ずつ入れ替えて勤められていた記憶があります。

私ももう20年以上前ですが、復曲「治親(はるちか)」で、福王和幸師と私が兄弟の役で、ワキの福王茂十郎師と3人でセリフの掛け合いをした事があります。





昨今、能の演能回数が徐々に減ってきていることを考えると、将来ワキ方の人数も減ってくる可能性があります。

異流共演。
今あるワキ方三流は、勿論流儀の主張が異なりますが、主ワキツレのようなある程度独立した役に於いては、異流で勤め合うのは可能かと思いますし、将来的には致し方ない事態が来るかもしれません。

お互いの謡や型、主張を尊重しつつ、各お家元の了承を得た上での配役ならば。

しかし問題もあります。
これが興業の物珍しさを狙った配役だったり、各流儀内だけの配役が可能なのにそれを行ったり・・・

これではお互いの流儀にとっても損出は大きいでしょうし、能楽界のシステムを壊してしまいます。

とにかく慎重に考えていかなければなりませんね。